心に浮かぶこと

日々の生活で心に浮かぶことの整理、そして子どもに残したいメッセージ

雑談を真に受けてしまう自分

「自分はXXを毎日飲んでいるお陰で風邪をひかない」と話をしている人がいた。その話を聞いて「うーむ、XXって実は結構甘くて、メインとなっている成分は果糖ブドウ糖液糖なんだよね。どちらかというと身体には良くないと思うのだが。」と思った。

 

相手はそこまで仲の良い人でもない。このような時は「そうなんですね」とだけ言った方が良いのであろう。もしも相手がXXを自分にも強く勧めてきたら、「自分は果糖ブドウ糖液糖は摂らないんだよね」とだけ言って、XXそのものが良いか悪いかは言及しないのが良いかもしれないな。私に無理やり飲ませようとしているわけではないし。

 

自分はこういう”大人な対応“が得意ではなく、ついつい直球で返してしまったりするけれども、自分は自分と思っていれば、主張をしなくても良い場所では主張をしなくても済むのかもしれないな。

 

 

子供の癇癪(かんしゃく)と仏法の教え

オンライン学習サイトのUdemyで、英語学習と育児に関する知識習得の双方の実益を兼ねて、How to quickly stop or prevent tantrums(日本語だと、「(子供の)癇癪(かんしゃく)を止め・防ぐ方法」といったところでしょうか)というコースを受講しました。講師はMadeleine Atchleyという女性で、はっきりと書いてはいないですが、おそらくアメリカ人の方です。

 

www.udemy.com

 

コースで教えられていたことの中で、以下のようなものがありました。

 

例えば、もしも小さな子供が、「青のスプーンは嫌で、赤のスプーンが良い」と言って癇癪を起こしている時には、

 

・まずは「青のスプーンではなく、赤のスプーンが欲しかったんだね」と子供の言いたいことを代弁して言葉にして、子供の気持ちを理解してあげる。


・理解してあげた後に、「そんな時は大きな声で泣かなくても、『赤のスプーンが欲しい』って言えばいいんだよ」と解決策も提示してあげる。

 

という風にすると良いとのことです。

 

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これはちょっとした子供とのやり取りではありますが、仏教の教えに通じるものがあるのではないかと思いました。まずは相手のことをニュートラルに受けとめて、ただ理解する。悲の心(相手の苦への理解)を向ける。そして、相手にとって役に立つことを伝える。

 

ともすれば、癇癪を起した子供に対して「そんなに大きな声で泣かないでよ」とか、単に「はいはい、わかった」と対応してしまうかもしれません。しかし、子供を理解し悲の心を向け、子供の言いたかった気持ちを代弁してあげるというのは、とても大切なことかもしれません。

 

ひょっとしたら大人であっても、強い怒りが生じた時は、自分の中で起こっていることを正確に把握して相手に伝えることが出来ないかもしれません。とりわけ配偶者やパートナーとの関係においては、「本当はこうして欲しいのに」といった面から怒りやイライラが生じても、何故自分は怒ってイライラしているのか、そこまで客観的に理解していない時もあるかもしれません。

 

「自分は相手から本当はこうして欲しかったのに、そうじゃなかったから寂しく思ったんだよね」と自分の気持ちに気づき、まずは自分の気持ちを受けとめてあげるということ。これってまさに仏法の教えじゃないかと思いました。

 

子供に対しても。そして自分に対しても、理解して受けとめていこうと思いました。育児は仏法を学ぶ最良の場ではないかと思いました。

 

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【読書】『子供の地頭とやる気が育つおもしろい方法』篠原信

著者の篠原信(しのはら ・まこと)さんは 1971年生まれ 。農学博士 (京都大学 ) 。国家公務員I種採用試験を経て国立研究開発法人農業 ・食品産業技術総合研究機構上席研究員 。中学時代に偏差値52からスタ ートし 、四苦八苦の末 、三度目の正直で京都大学に合格 。大学入学と同時に塾を主宰 。不登校児や学習障害児 、非行少年などを積極的に引き受け 、塾生からは 「男塾 」 、外部からは 「不良塾 」と呼ばれ 、悪戦苦闘しながら10年間 、およそ 100人の子どもたちに向き合う 。2000年に大学の教員になって以降 、学生や大学院生を指導しつつボランティアで育児相談や子どもの学習指導 、市民講師などを務め 、現在も継続中 。

子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法

子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法

 

 目次

第1部 好奇心が湧き出る泉をつくる(「不思議」は学ぶ意欲の源泉;学ぶ意欲の基礎になる「自己肯定感」)
第2部 意欲はどう育てる?(ほめる・叱る・そそのかす・楽しむ;やる気を損なう注意点;意欲を引き出すコツ)
第3部 やわらかくしなやかな地頭を育む(具体的な教え方;創造性・グリット・見渡す力)

 

印象に残った内容

人間は 「できない 」を 「できる 」に変えること 、 「知らない 」を 「知る 」に変えること 、つまり 「学ぶ 」ことが大好きです 。しかし他人から 「正解 」を教えられると 、つまらなくなります 。パズルを自分で楽しみたいのに 「そのピ ースはここだよ 」と全部教えられたらつまらないのと同じです 。人間は自分の力で 「できない 」 「知らない 」を 「できる 」 「知る 」に変えたいのです 。

子どもに何かを与えようとするより 、あえて親自らに 「欠如 」を用意し 、それを子どもに埋めてもらうことを意識してみてください 。炊事 ・洗濯 ・掃除 、すべて子どものためと思って 「与える 」ばかりだと 、かえってその面の能力が育ちません 。それよりは 「お風呂にお湯を張るの 、お願いできるかな ?手が回らなくて困ってるの 」と頼み 、それをやってくれたら 「ありがとう !助かっちゃった ! 」と喜んでください 。子どもは頼りにされるのが大好きです 。自分が役に立っている 、という達成感がとても強いから 、積極性が育まれます 。その積極性が 、学習にも生かされます 。

子供はミッション(使命感)が大好きなのです。

 すべてお膳立てしてあげるのではなく、「自分で出来た」というプロセスを楽しめるようにする。私の子供はまだ2歳だけれど、洗濯物を干したり、洗濯物を畳んだり、大人が掃除機をかけている横でコロコロローラーを持ってきてホコリ取りをしたりするのを楽しんでいる。その楽しみを邪魔することなく応援してあげたいと思った。

 

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「 7時になったら 、お母さん (お父さん )と一緒に宿題しようか 」と 、早めに (たとえばこの場合は 6時ごろまでに )提案してみてください 。 「一緒にやろう 」と予告するのがコツです 。時間が来るまでに気持ちを切り替える準備が整います 。

 

ここでのポイントは「予告する」ということと「一緒にやろう」ということ。「予告する」というのは小さな子供にも使える方法で、突然次のことを無理やりやらせるのではなく、「最後にこれを食べたらご馳走様だよ」とか「もう1回やったら帰ろうね」といった感じで使うと、比較的スムーズに次の行動に移ってくれる。「一緒にやろう」というのは命令口調ではなく提案のような形なので、子供も自発的に動いてくれるようになる。

 

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離乳食を始めた娘 。食事に集中してほしいのに 、よそ見をしてちっとも食べてくれません 。むこう向きの娘の口に 、見当をつけてスプ ーンを運びますが 、口が閉まっていて大失敗 。ふと思いついて 、口までスプ ーンを運ぶのをやめました 。娘から 5センチ離れてスプ ーンを空中停止 。娘は食べ物が口まで運ばれてこないことに気がつき 、口を開けました 。しかし私は 5センチ離れたまま 。すると娘のほうからスプ ーンに近づいてパクつきました 。

 

子供に何かを全部教えるというのは、口まで食べ物を運んであげるのと同じで自分では努力をしなくなってしまうのだという。

 

教えるときも同様です 。全部教えるのではなく 、子どもが自分で考え 、答えなければならない部分を残す 、そういう 「教えない 」部分を残すのです 。ヒントは出しますが 、 「ということは ? 」と問いかけます 。すると 、子どもは自分で考え 、答えざるを得ません 。よそ事を考えるヒマはなくなります 。最後に質問が来るので 、途中の話もきちんと聞くようになります 。

これは子供に限らず大人でもそうなのではないかと思う。「時間が無いから全部やってあげよう」と思うのではなく、半分だけ教えてからその後のやり取りを楽しむような心のゆとりを持っていきたいと思った。

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幼少期から学童期まで、広く役立つ子育ての秘訣が書かれている本だと思った。これは必ずしも子育てに限らず、人を育てたり、人に何らかの影響を与えたい人には役立つことなのではないかと思う。

出来なかったことを学ぶということ

人間は本質的に学ぶことが好きなのだろうか?それとも嫌いなのだろうか?

 

仮に私たちが、理由もよく分からないまま、知らない単語や公式を暗記しなさいと言われたら、「そんなことを学ぶのは嫌だな」と思うかもしれない。しかしながら、人間の本質は、新しいことを学び、出来なかったことが出来るようになることが大好きなのだろうと思う。

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子どもを見ていると、「人間って本来こうなんじゃないかな」と思うことがある。

 

私の子どもは何でも自分でやりたがる時期になった。これまで親がやってあげていた事を、同じようにやってあげようとすると、「自分でやりたい」、「自分でやりたかったのに」と態度で示して怒ったり、泣き出したりするようになってきた。洋服を着させてあげていたのを以前と同じようにやってあげようとすると、「自分でやる」と言い出す。

 

ただ、自分でちゃんと最後まで出来れば良いのだが、時には裏返しだったり、左右が逆だったりもする。急いでいる時は、「ごめん、急いでるから今回はパパが着させるね」と言って着させてしまうこともあるけれど、なるべく自分でやってもらっている。洋服の脱着だけではなく、手洗い時の蛇口の開け閉め、食器を定位置に置く作業、レンジで食べ物を温めた後にお皿からラップを外す作業、寝室のふすまの開け閉め、こういった作業もついいつもの癖でパパがやってしまうと、子どもは泣きそうな顔になりながら「自分でやりたかった」ということを示して、パパがやった作業を一旦元に戻してから自分でその作業をやる。パパが閉めたふすまをもう一度開けてから、自分で閉め直す。

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大人になると、自分でやらずに誰かが代わりにやってくれた方が嬉しいこともあるだろう。大人にとってみれば、ドアの開け閉めなどは、自分でやる代わりにドアマンが開け閉めしてくれたら、自分が大切にされている感じがして嬉しいに違いない。この時大人は、やろうと思えば自分で出来ると分かっていることを他人がやってくれるから、嬉しいと感じるのかもしれない。

 

子どもは、次は出来るようになるだろうと思って、これまで出来なかったことにもどんどん挑戦していく。そして、どんどん自分で出来るようになっていく。出来なかったことが出来るようになっていくことを、心から喜んでいる。「よし、次はこれもやってみよう」と思っていたところを、横に居た大人が代わりにやってあげてしまったとしたら、子どもにとってみたら泣きたくもなるのだろう。

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 これは人間の本質的な要素なのではないか。大人になってからも、出来なかったことが出来るようになるのは非常に嬉しい。楽器の弾き方を覚えたり、外国語が話せるようになったり、新しい料理を覚えたり。人によって分野の違いこそあれども、新しいことが出来るようになるのはとても楽しいことではないか。

 

この楽しみを奪ってはいけないと思った。子どもに限らず、家族や友人が新しいことを出来るようになるよう応援していこう。職場では他のメンバーや部下が新しいことを出来るようになるよう応援していこう。そして自分自身も新しいことの習得を楽しもう。

 

【読書】『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』鈴木大介

著者の鈴木大介 (すずき ・だいすけ )さんは一九七三年千葉県生まれ 。 「犯罪する側の論理 」 「犯罪現場の貧困問題 」をテ ーマに 、裏社会 ・触法少年少女らの生きる現場を中心とした取材活動を続けるルポライタ ー 。

 

鈴木大介さんの「お妻様」、すなわち奥様は、大人の発達障害であるとのこと。「お妻様」は、鈴木さんが望むようには家事を行ってはくれない。これまで鈴木さんは家事を一手に引き受けて行っていたが、41歳の時にご自身が脳梗塞で倒れ、注意障害、遂行機能障害、作業記憶の低下、情緒障害といった後遺症を患うこととなる。しかしながら、それらの後遺症を患うことで、「お妻様」がなぜ家事が出来なかったのかに考えが及ぶようになる。注意障害となった鈴木さんは以下のことに気づく。

人は視野に入る物すべてが見えているわけではなく 、そこに物があると認識して初めて 「見えている 」なのだということが 、身をもって理解できた 。その感覚を当てはめると 、改めて出会った頃からのお妻様の困った行動にも説明がつく 。例えばなぜお妻様は 、何度注意しても中身の入った飲み物のコップやハサミなどの刃物を 、床の上に置きっぱなしにしてしまうのか 。そしてなぜ彼女は 、物が置いてある上に平気で座ってしまうのか 。

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そう考えると 、お妻様の作り出すカオス部屋にも 、その理由が見えてくる 。あれはおそらく 、たくさんの注意を引く物が溢れかえっていて 、 「そのどれもが実は見えて (認識できて )いない 」という状況なのかもしれない 。退院後の僕の場合はまず 「片づけねばならない 」が前提にあったから 、部屋に溢れかえる物のすべてに注意や不快感がロックし 、どうすればよいのかわからなくなってパニックを起こしてしまった 。だがお妻様の場合は 、一定以上に目に入る物が増えた段階ですべてを認識しなくなってしまい 、加速度的にカオスが進むのだ 。

 

鈴木さんの「お妻様」は発達障害ということだが、そういった診断がされる・されないに関わらず、人は誰しも考え方の癖であったり、精神的または身体的に得手・不得手なことがある。鈴木さんの気づきは、発達障害の人との人間関係に限らず、あらゆる人間関係に当てはめられると思う。

 

夫婦関係、親子関係、上司と部下の関係など、あらゆる関係の中で「なぜこの人は何度言ってもこれが出来ないんだろう?」「結構簡単なことだと思うんだけれど、なぜこの人はこれが出来ないんだろう?」と思ってしまうことがある。しかしながら、自分には見えているものがその人達には見えていない可能性があるのだ。または、この世界にあるものが全く違った印象で写っているのかもしれない。

 

自分は出したものは使い終わったらすぐ定位置に戻す方だ。逆に、誰かが定位置に戻していないと、ちょっとイライラしたりする。人によって見えているものが違うのならば、使い終わったものが定位置に戻っていないとイライラするというのは、自分の見えている世界だけの話で、他の人にとっては違うのかもしれない。

 

となれば 、どんな対策が考えられるだろう ?例えばお妻様の食器の片づけ忘れの対策は 、食器を棚に片づける前の仮置き場となるダイニングテ ーブルの上に 、本だとか調味料だとか 、本来注意すべき物以外に注意を引く物を残しておかず 、最大限物のない状態にしておくことはどうか 。実際にやってみると 、見事なまでにお妻様の片づけ忘れは減った 。だがその一方で 、意外にもテ ーブルの上に置きっぱなしになっている物は僕の物も多いことに気づいた 。

 

 病後の僕が気づき学んだことは、こうだったはずだ。まず夫婦間の家事のイニシアチブは、それが必要としているほうが握り、もう一方にお手伝いをお願いする。お願いする作業は、徹底的に細かく細分し、1回にひとつの指示だけを出す。

自分としては出来て当たり前だということを基準に考えるのではなく、相手の見えているものは違う・相手の得手不得手なものは違う、という前提で協力してやっていくということ。相手に合わせて相手の「得意」を引き出していく姿勢。これは自分も学び、習得していきたい。家庭でも、職場でも、これが上手く出来るようになったら素晴らしく、すごいことになると思う。

 

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毎日の炊事をお妻様とふたりでやっていく中で、お妻様は確実に学習と発達を重ねていった。例えばハンバーグを作ると言えば、お妻様はなにも言わなくてもタマネギを持ってきて、挽肉の解凍を始めるようになった。

お妻様は、子どもの頃からその要領の悪く時間のかかる作業を頭から否定され、お義母ちゃんや僕に「自分がやったほうが早い」と作業を横取りされてきたのだろう。

遂行する家事の「作業量」としてはまだ僕のほうがたくさんやっていると思う。けれども、僕らは間違いなく平等になった。なにが平等なのかと言えば「頑張っている量」が平等になったのだ。

この世界では結果や効率が重視されることもある。しかし、必ずしも結果や効率だけではなく、「頑張っている量」で考えるという視点は忘れずにいたい。そして、他の誰かが頑張れるようにしようという姿勢を持って生きていけたら(かといって頑張りを強要することもなく)、人とのつながりをより感じられ、人生もっと楽しくなるのではないか。そんなことを考えさせられた書籍であった。おススメです。

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

 

 

 

挑戦してみるということ

今日は娘をを連れて近所の公園に行き、滑り台で遊んだ。

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 その公園の滑り台を登るには、普通に階段で登るルートと、ロープと手すりを掴みながら傾斜を登るルートがある。傾斜を登るルートの方は、小さな子供にとってはそれなりの角度がある。娘は「傾斜のルートから登りたい」ということを私に態度で示した。「まだちょっと無理なんじゃないかな」とも思ったが、やりたがっているので、とりあえずやらせてみることにした。

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やはり最初はなかなか思うようには登れない。ただ、私が全面的に手伝ってしまうと、本人のためにもあまり良くないのと、私が手伝うと本人も不機嫌になってしまうので、基本的には手伝わなかった。安全のため、最初は軽くお尻を支えてあげた。2回目、3回目、必要に応じてお尻を支えてあげたものの、4回目くらいからはその支えもなしで上まで登った。最初私は「まだ無理なんじゃないか」と思っていたけれど、その日のうちに登れるようになってしまった。 

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子供が持つ「やってみよう」というエネルギーは本当にすごいと思う。その前向きさにいつも心を打たれ、励まされる。アンヨが出来るようになる頃の子供は、転んでも転んでも立ち上がってアンヨをしようと頑張る。何度転んでもアンヨをしようと頑張る姿勢は本当に素晴らしい。もしこれが大人だったら、「今日は3回やってみてダメだったし、昨日も何度かやってみてダメだったから自分には無理だな」と思ってしまうかもしれない。

 

自分自身を振り返ってみて、「これは無理かもな」と思い、自分で勝手に諦めてしまったことが過去にいくつかあったのではないかと思う。進学先であったり、大学時代の専攻であったり、職業の選択であったり。大学時代の専攻についていえば、受験生時代に「大学で専攻してみたいな」と思っていた分野があった。ただ、その科目を専攻した後の自分がどうやって食べているのかが思い描けず、いわゆる実学と呼ばれる別の科目を専攻することにした。食べていけるかどうかという点で、より安定していると思われる方を選んだ。一概にその選択が悪かったかどうかは分からない。しかし、出来るかどうかはやってみなければ分からないし、「良い結果になることを目指して、まずはやってみよう」という選択もあったはずだ。

 

自分のこれからの選択。最初から「これは無理かもな」と思うのはもう止めようと思う。世間で常識と呼ばれていることや、年齢などにはとらわれずやっていこうと思う。

 

年齢という点で思い出すのは、アンパンマンの作者で漫画家のやなせたかしさん。アンパンマンが人気作品になったのは、やなせさんが50代の時。そしてそのアンパンマンがアニメ化されたのは、やなせさんが69歳の時である。

 

自分もこれから、いろいろ挑戦してみよう。

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【読書】『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』安田祐輔

1983年横浜生まれの安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)さんの著書。安田さんは発達障害によるいじめ、一家離散、暴走族のパシリ生活などを経て、偏差値30から国際基督教大学ICU教養学部国際関係学科入学。大学卒業後、大手商社へ入社するも発達障害の影響でうつ・ひきこもりに。

 

2011年に「キズキ共育塾」開塾。多くの講師が挫折経験をもち、生徒の心に寄り添う指導が評判を呼び、全国から様々な理由で学校に行けない若者やその親から問い合わせが殺到、多くのメディアに取り上げられる。この本は、生きづらさを抱えながらも、困難を乗り越え、社会問題解決のビジネスモデル――輝く場所――をつくった起業家の実話です。

暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由

暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由

 

 目次

  • 第一章 発達障害・家庭崩壊〜12歳で家を出る
  • 第二章 地獄からの脱出計画〜偏差値30から一流大学へ
  • 第三章 生まれかわる戦略〜暗闇でも走る
  • 第四章 僕はどう生きる?〜大学生活で見つけた使命
  • 第五章 大企業へ入社したが〜うつ病発症、一年のひきこもり
  • 第六章 不登校・中退者の塾の立ち上げ〜自分だからできること
  • 第七章 人生はやりなおせる〜道を拓く子どもたち
  • 第八章 僕のこれから〜世界を変える決意

印象に残った内容

安田さんがこれまで歩んできた道のりも印象に残ったが、以下の言葉が特に印象的であった。

 

不登校・中退者・ひきこもりの若者たちに必要なのは、物語を紡ぐことだと思うんです」人は物語を生きる存在てあるということだった。「あの時に◯◯という出来事があったから、今の自分はある。そういう一つひとつの出来事を物語のように解釈しながら、人間は生きている。

 

確かに不登校やひきこもりの子たちに必要なことは、そういった「物語」だ。-苦しい経験があったけれども、そのおかげで今がある。そう思える日が、きっと来る。

 

物事には必ずネガティブとポジティブの両面がある。どんなにその時ネガティブと思えることであっても、後から「あの時の◯◯があったから今がある」と思えるようになる。ネガティブを感じたら、「今ネガティブを感じている自分」に気づく。後から必ずポジティブもやってくる。

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どん底の状態からやりなおすために必要なことは、「考え方をずらしてみる」ことだ。どん底の状態の時は、「何をやってもうまく行かない」と思いがちだ。そのせいで、努力さえできなくなってしまう。だから「こうじゃなきゃいけない」という思い込みを外して、少し「ずらして」考えることが必要だ。そうすることで別の生き方が見えてくる。心理学的に言えば、少し難しい言葉になるが、「認知の歪み」を改善させるということだ。

 

現代社会において、「こうしなければならない」なんてことは、ほとんどない。「学校」という仕組みも、「会社」という仕組みも、誰かがつくり出したものに過ぎない。だから、その仕組みになじめなくてもがいているのであれば、そこから逃げ出して新しい道を探しても良いはずだ。

 

特に「学校」というのは不条理な仕組みになりうると僕は思っている。例えば「仕事」であれば、就職先は自分で選べるし、転職も認められている。けれども「学校」になると、普通に公立小中に通う限り、住んでいる場所に合わせて学校がある程度決められてくるし、転校もなかなかできない。先生方はとても頑張っているけれど、全員に合う教育をするのはとても難しい。だから、学校が合わなくたって、絶望しなくて良い。今どん底で苦しんでいるのなら、まずは「こうしなければならない」という思い込みを捨ててみてほしい。それが、やりなおすために一番大切なことだ。

 

 

自分でも気づかずに「そうだと思い込んでいること」というのは案外あるものだ。無意識のうちに諦めてしまっていることを思い出す。他人に対する「こうじゃなきゃいけない」という思い込みをやめる。そうすることで、自分自身がはまっている「こうじゃなきゃいけない」という思い込みからも自由になれる。

 

少し話がずれるが、私は家を買いたいと思ったことが無い。基本的にずっと賃貸の方が良いと思っている。それは、住んでいる家の場所がここだからという理由で、不条理な世界から抜け出せないということになりたくないからだ。家を買ってしまうと借りているように自由には動きにくくなる(実際には動けない訳ではなく、動くのをためらうようになる、というだけかもしれない。本当に動けないなどということは決してないのだ。)。自分の仕事や子供の学校が、住んでいる家の場所に縛られることはしたくない。賃貸で機動的に動けるようにする。必要あらば、日本以外の場所に移り住んでも良い。

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人生をやるなおすために必要なことは、「変えられるもの」だけに注目するということだ。例えば僕の場合、発達障害があること、温かい家庭に生まれなかったということ、早起きが苦手なこと、人とのコミュニケーションが苦手だということ……そういうものは変えられない。誰しも人間は生まれ持った条件の中で生きなければならない。そしてそれらは「変えられない」こともある。生まれつき恵まれた人たちを見ていて悔しくなる時もあるけれども、他人と比較しても意味はない。

 

他人を変えようとするのではなく、自分が変わる。他人にやってもらうことに力を注ぐのではなく、自分がやる。

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 私自身が引きこもって学校にほとんど行っていなかった時期があり 、この本は非常に興味深く読ませて頂いた。自分も、既存の制度の中でなかなか上手くやっていけないことに苦しんでいる人達の力になるようなことをやりたいと思った。