心に浮かぶこと

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【読書】『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』鈴木大介

著者の鈴木大介 (すずき ・だいすけ )さんは一九七三年千葉県生まれ 。 「犯罪する側の論理 」 「犯罪現場の貧困問題 」をテ ーマに 、裏社会 ・触法少年少女らの生きる現場を中心とした取材活動を続けるルポライタ ー 。

 

鈴木大介さんの「お妻様」、すなわち奥様は、大人の発達障害であるとのこと。「お妻様」は、鈴木さんが望むようには家事を行ってはくれない。これまで鈴木さんは家事を一手に引き受けて行っていたが、41歳の時にご自身が脳梗塞で倒れ、注意障害、遂行機能障害、作業記憶の低下、情緒障害といった後遺症を患うこととなる。しかしながら、それらの後遺症を患うことで、「お妻様」がなぜ家事が出来なかったのかに考えが及ぶようになる。注意障害となった鈴木さんは以下のことに気づく。

人は視野に入る物すべてが見えているわけではなく 、そこに物があると認識して初めて 「見えている 」なのだということが 、身をもって理解できた 。その感覚を当てはめると 、改めて出会った頃からのお妻様の困った行動にも説明がつく 。例えばなぜお妻様は 、何度注意しても中身の入った飲み物のコップやハサミなどの刃物を 、床の上に置きっぱなしにしてしまうのか 。そしてなぜ彼女は 、物が置いてある上に平気で座ってしまうのか 。

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そう考えると 、お妻様の作り出すカオス部屋にも 、その理由が見えてくる 。あれはおそらく 、たくさんの注意を引く物が溢れかえっていて 、 「そのどれもが実は見えて (認識できて )いない 」という状況なのかもしれない 。退院後の僕の場合はまず 「片づけねばならない 」が前提にあったから 、部屋に溢れかえる物のすべてに注意や不快感がロックし 、どうすればよいのかわからなくなってパニックを起こしてしまった 。だがお妻様の場合は 、一定以上に目に入る物が増えた段階ですべてを認識しなくなってしまい 、加速度的にカオスが進むのだ 。

 

鈴木さんの「お妻様」は発達障害ということだが、そういった診断がされる・されないに関わらず、人は誰しも考え方の癖であったり、精神的または身体的に得手・不得手なことがある。鈴木さんの気づきは、発達障害の人との人間関係に限らず、あらゆる人間関係に当てはめられると思う。

 

夫婦関係、親子関係、上司と部下の関係など、あらゆる関係の中で「なぜこの人は何度言ってもこれが出来ないんだろう?」「結構簡単なことだと思うんだけれど、なぜこの人はこれが出来ないんだろう?」と思ってしまうことがある。しかしながら、自分には見えているものがその人達には見えていない可能性があるのだ。または、この世界にあるものが全く違った印象で写っているのかもしれない。

 

自分は出したものは使い終わったらすぐ定位置に戻す方だ。逆に、誰かが定位置に戻していないと、ちょっとイライラしたりする。人によって見えているものが違うのならば、使い終わったものが定位置に戻っていないとイライラするというのは、自分の見えている世界だけの話で、他の人にとっては違うのかもしれない。

 

となれば 、どんな対策が考えられるだろう ?例えばお妻様の食器の片づけ忘れの対策は 、食器を棚に片づける前の仮置き場となるダイニングテ ーブルの上に 、本だとか調味料だとか 、本来注意すべき物以外に注意を引く物を残しておかず 、最大限物のない状態にしておくことはどうか 。実際にやってみると 、見事なまでにお妻様の片づけ忘れは減った 。だがその一方で 、意外にもテ ーブルの上に置きっぱなしになっている物は僕の物も多いことに気づいた 。

 

 病後の僕が気づき学んだことは、こうだったはずだ。まず夫婦間の家事のイニシアチブは、それが必要としているほうが握り、もう一方にお手伝いをお願いする。お願いする作業は、徹底的に細かく細分し、1回にひとつの指示だけを出す。

自分としては出来て当たり前だということを基準に考えるのではなく、相手の見えているものは違う・相手の得手不得手なものは違う、という前提で協力してやっていくということ。相手に合わせて相手の「得意」を引き出していく姿勢。これは自分も学び、習得していきたい。家庭でも、職場でも、これが上手く出来るようになったら素晴らしく、すごいことになると思う。

 

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毎日の炊事をお妻様とふたりでやっていく中で、お妻様は確実に学習と発達を重ねていった。例えばハンバーグを作ると言えば、お妻様はなにも言わなくてもタマネギを持ってきて、挽肉の解凍を始めるようになった。

お妻様は、子どもの頃からその要領の悪く時間のかかる作業を頭から否定され、お義母ちゃんや僕に「自分がやったほうが早い」と作業を横取りされてきたのだろう。

遂行する家事の「作業量」としてはまだ僕のほうがたくさんやっていると思う。けれども、僕らは間違いなく平等になった。なにが平等なのかと言えば「頑張っている量」が平等になったのだ。

この世界では結果や効率が重視されることもある。しかし、必ずしも結果や効率だけではなく、「頑張っている量」で考えるという視点は忘れずにいたい。そして、他の誰かが頑張れるようにしようという姿勢を持って生きていけたら(かといって頑張りを強要することもなく)、人とのつながりをより感じられ、人生もっと楽しくなるのではないか。そんなことを考えさせられた書籍であった。おススメです。

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間